2025.01.31
1月6日に行われる初の日本武道館単独公演『焔』を前に、3ヶ月連続で開催されたBLOG MAGAZINE限定公演の第2弾として、11月17日に神田スクエアホールで行われたライブのタイトルは『鬼灯』。お盆の時期になると可愛らしい赤い実をつける植物にもかかわらず、“鬼灯”という物騒な名前を持つ由来は諸説あるらしいが、一説によると“鬼”は亡くなった人のことであり、“灯”は提灯に似た見た目から名付けられたという。つまりは、お盆の時期、此世に戻ってきた亡者を導く灯りとなる植物ということだ。結成以来“生と死”を深く抉り、最新作として「鬼」なる楽曲を掲げているキズにとっては、なんとも似合いの単語だろう。さらに、ライブ当日は来夢の誕生日2日前。それを考えると燃え盛る炎に鬼灯が散り、鬼の面が割れて中から明らかに来夢と思われる人物が生まれ出るような公演ビジュアルも、まさしくピッタリだ。
当然、客電が落ちて壮大に鳴ったSEは「鬼」のもので、そのまま最新曲がライブの幕開けを飾る。白いスポットライトを浴び、お立ち台の上で“この命もくれてやろう”と来夢がアカペラで歌い上げ、オーディエンスのクラップときょうのすけのドラムビートからバンド演奏が入るという展開は何度見てもドラマティック。さらにプリミティブなピアノ音やユエのスラップベース、そしてreikiの狂おしいギターソロが立ち会う人間の魂を掻きむしり、来夢の悲痛な“ごめんね まだ愛してる”“きみといたい死にたくない 生きていたい”の叫びが、このライブがいかなるものであるかを堂々と宣言する。これだけ濃厚でディープなメッセージを1曲目から放ち、さらにトドメとばかり「てめぇら、やれんのか!」と「地獄」へなだれ込むのは、間違いなくBLOG MAGAZINE限定ライブだからこそ。全員が頭を振りたくるフロアに「死ぬ気で来い!」と来夢は煽り、おなじみの「救われたいやつだけついてこい!」の声にいつも以上の大歓声が巻き起こるが、それも此処にいる誰もが救われたくてBLOG MAGAZINEに登録していることを考えれば当然である。だが来夢の真意は、ついていきさえすれば自動的に救ってやるなどという他力本願なものではない。爆音の中で己を解放し、自身の奥底にあるものを見つめることで自分を救え、そのキッカケを俺らは与えてやるということに過ぎないのだ。そして“命”をフィーチャーした冒頭2曲に身を浸し、思い思いに身体を揺らすオーディエンスとバンドとの魂のやり取りは震えるほどに熱く、偶然与えられたにすぎない“命”の使い道を必死で考え、こうして実行し続けていくこと――それこそが“生きる”ということであり、その結果に誰にも口を挟む権利などないのではないかと実感させられる。
拳を振り上げるオーディエンスに「てめぇら、元気がいいな!」と来夢が声をかけ、湧き上がる歓声に「もっとくれ!」と求めてからは、リズミカルな響きが心地よい「十八」に、クリーンギターから美しい不穏へと移行する「ストロベリー・ブルー」と、一種の諦めを垣間見せながら“君/貴方”へと手を伸ばすナンバーを披露。“さあ、行こうあの場所へ”とフロアに向かって語りかける来夢の説得力も、2ヶ月後に日本武道館ワンマンを控えた今は、ひと際強い。しかし「まだまだやんぞ、東京!」と彼が煽ってからは、ステージを赤く染めるライトの中で立ち上がり、客席に喝を入れたきょうのすけの重低音ドラミングから「平成」へ。「聞こえてんのか、俺の声!」と声を轟かせた来夢に「生きてんのか、てめぇら‼」と問われ、拳をあげるオーディエンスは懸命に声をあげ、頭を振って“生”の証を噴出させる。その姿にreikiとユエもポジションをスイッチしてアグレッションを表す一方、音がカットアウトして来夢のギターの音だけが響くという緩急あるプレイも実にスリリング。場内のテンションは高まる一方にもかかわらず「そんなもんじゃねぇだろ、てめぇら! もっとくれ! 飛ばしていくぞ!」と来夢は貪欲に求め、拳と声を振り上げるフロアに向かって“一緒に死のうよ”とリフレインする。そんなネガティブな歌詞も最後には“ただ生きたいだけ”と帰結し、しかし、曲終わりには再び「死ぬ気で来いよ!」という号令に変わるのが彼らしさ。要するに“死のう”と言えるのは“生きられない”と思うからであり、つまりは“生きたい”という切実な願いがあるからなのだ。
「BLOG MAGAZINRE限定ということで、まずはソールドアウトありがとうございます。最近キャパをあんまり調べなくてですね、今日どれくらいの会場なんだろうか?と知らずに来たんですけれど……大きいっすね! 気持ちいいです! こんなに来てくれるとは、ありがとう!」
約1000人を収容できる会場に集まったファンへの感謝を述べた来夢は、そのままギターを抱えてアカペラで「黒い雨」を朗々と歌唱。透明感のあるサウンドでポジティブな光さえ感じさせる反面、過ちを繰り返す人間の愚かさを嘆くこの曲が歌うのは、流れる血の上に人は暮らし、愛を育んできたのだという善悪を超えた事実だ。愛する君のためなら、この命さえ捨てて戦う――ある意味で「鬼」とのリンクも感じさせる歌詞の裏に潜む残酷で尊い現実が、救いようのない“人間”という生き物の姿を浮き彫りにし、感動的なムードを呼んでから「人間失格」へと続けるのにニヤリとせざるを得ない。蠢く低音ベースにメロウなクリーンギターがイントロからスリリングな対比を為し、クラップを贈るオーディエンスに「いいか、今日は誰も逃がさねぇぞ!」と来夢は宣言。それに応えて激しく揺れるフロアに「楽しくなってきた、東京!」と彼が告げると、大きく頭を振りながらスティックを撃ち込むきょうのすけ、空を蹴り上げるreiki、腰を低く落とすユエによるアタックの強い音が場内に弾けて、歌でなく“オイオイ!”の声だけが響きわたる場面も。そこから4人が拳を突きあげ、間髪いれず「エリーゼ」を投下すれば、フロアは丸ごと左右にモッシュしてヘッドバンギングの海と化す。それを牽引するプレイは緻密かつタフで頼もしく、クラップするフロアに「まだやれますか?」と問うた来夢は「俺はまだやれますよ!」と断言。そして、次のように語った。
「昨日かな。Netflixでマイク・タイソンの試合があってさ、ボクシングの……知ってる? マイク・タイソン? 58歳でリングに上がってたんですよ。すごくないですか? マジで“すごいな!”と思って。もうちょっとで僕、また一つ歳取っちゃうんですけれど、まぁ、58歳になっても……戦えるボーカリストでいたいなって思いました。やっぱり全盛期の動きではなかったんだけど、リングに立ち続ける姿勢というか……とりあえず、すげぇ感動して……関係ない話、話しちゃいました(笑)。まぁ、いろんなものに影響を受けて、これから先も頑張っていきたいと思います。ありがとう!」
節目を前に自身の決意を伝え、そのままreikiのアルペジオだけをバックに歌われたのは「鳩」。「届いてるか、東京!」の叫びからクライマックスでリズム隊が入り、知らなくてよかった温もりを知ってしまった男の哀しみが、実直な演奏と来夢のフェイクからエモーショナルに滲み出る。ジッと聴き入るオーディエンスに「ありがとう!」と繰り返し、大きな拍手を浴びるが、勢いよく入るドラムがオーディエンスの声と拳を招いて、来夢が「俺の声をかき消してちょうだい!」と乞うた「豚」で場の空気は一変。ユエがお立ち台に上がって豪快なスラップソロをかませば、reikiはギターソロでワウを唸らせ、来夢は再び「届いてるか、東京!」と確認する。どれだけフロアが熱狂しようとも、1人ひとりの“心”に届いていなければ、彼にとっては意味がない。だが、心の在り様を物理で証明することは難しいから、せめてもとオーディエンスは懸命に全身で応え、ようやく彼に「いいね、東京。いいね!」と言わしめるのだ。
それでも来夢の要求は止むことなく、「声くれ! 俺を呼べ!」と命令して凄まじい歓声を湧かせると、「おい、まだやれるか!」「全部出し切ろ!」とヘヴィな「ステロイド」で張り裂けそうなハイトーンを放出。大きく揺れるフロアに「調子いいぞ、今日、俺は! お前らはどうなんだ!? いつも以上のもの見せれるか! 俺は見せてやるぜ!」と、「傷痕」のスケール感ある歌でフロアにさらなるうねりを招く。緩急豊かにリズムを操るきょうのすけのドラミングが耳を、白く赤く明滅するライトが目を焼き、満場のヘッドバンギングはまるでグツグツと煮えたぎる地獄の釜のよう。そして「ラスト行くぜ! 悔い残すなよ!」と吐き出された「リトルガールは病んでいる。」では、ステージ上で激しく動き回る4人が喉と楽器から放つ激情でフロアをかき乱し、最後は「歌え!」という来夢の号令で大合唱を巻き起こした。そう、いつだって彼らのパフォーマンスは事切れる寸前までエスカレーションを極め、観ているこちらがハラハラするほど限界ギリギリなもの。だが、そうやって果ての果てにまで到達してこそ、ようやく見えるものがあることを教えてくれるのがキズのライブなのである。
止むことのない“アンコール!”の声に、まずは楽器隊がステージに上がって、最後に来夢が「おい! 呼んだからにはやれよ! いいか!」と言い置くと、彼らの始まりの曲である「おしまい」を金切り声のシャウトでドロップ。さらに「まだ元気あるかてめぇら!」と叩きつけた「蛙-Kawazu-」と、メンバーのみならずオーディエンスの身体にもすっかり染みついたナンバーで、ひたすらに身体を揺らし、飛び跳ね、頭を振って、心の澱を吐き出していく。そうして真っ白になり、すべてをさらけ出したフロアに「愛してるぞ、てめーら! 愛してるぞ!」と来夢は告白。自身の鳴らす音楽に共鳴し、全身全霊でついてきてくれるファンは、彼らにとって間違いなく“同志”であり、慈愛の対象なのだろう。
だから「今日はすげぇいい天気ですが、感謝を込めて、この曲を最後に贈りたいと思います」と来夢が続けた言葉にも違和感はなく、彼が周囲への感謝を書き綴った「雨男」が贈られたのも納得。壮大なオーケストレーションと重厚なバンドサウンドが対比を為す劇的なナンバーを青いライトが美しく彩り、それぞれが自身の想いを狂おしく放出させるなか、お立ち台の上から来夢は声を振り絞るようにして「愛してるぞ、てめぇら! 心の底から、お前らを愛してるぞ!」と叫び募る。咆哮で曲を締めくくってからも「ありがとう……ありがとうございました」と何度も告げて、最後は「武道館、待ってるから、てめぇら! 武道館で会いましょう!」と大きく右拳を掲げて約束を交わした。
この日のライブで、来夢が幾度も発した「声をくれ!」の言葉。彼が欲したのは声自体ではなく、それが表す“命の証”だったのだろうと思う。そして、キズ史上最多数の“声”が集まる日本武道館公演は、つまりは最多の“命”が結集する場になるということ。そこで彼らが見せる“果て”の景色は、いったいどんなものになるのだろうか?と、期待は果てしなく広がっていく。